昭和52年12月18日 朝の御理解
御理解 第26節
「信心に連れはいらぬ。ひとり信心せよ。信心に連れがいれば、死ぬるにも連れがいろうが。みな、逃げておるぞ。日に日に生きるが信心なり。」
信心に連れはいらぬと言う事は、最後の日に日に生きるが信心なりと言う事が、分らせて貰い。それこそ連れになろうと思うても、連れにならぬほどしの一途のもの。そういう信心を言うのではないだろうかと思います。もうそれこそ一直線、神様へ向かってもうただ、ひた向きに進んでいく。そういう信心にならせてもらい。そういう信心を連れがいらんじゃない、もう連れになろうと思うてもなられないほどしの信心。
それにはやはり日に日に生きるが信心なりと仰せられる様な、もういよいよ自分という者を空しゅうしていく。まっしぐらに教えを行じ、教えを元にしての信心が出来、生活が出来るという生き方。いやぁもうとてもあなたの様な真似は出来ませんと、まぁ言われ思われする様な信心を言うのではなかろうか。いやそういう信心でなからなければ、最後の日に日に生きるが信心と言う様な、厳しいいわば信心は分からないと思う。
昨日は合楽会でしたから、もう十二時もあるかなと思うて、やめさせて頂いたんですけれども。実際はもう一時じゃった。もうこれでお仕舞い、これで立ちましょうと言いながら、また次の信心話が出ますもんですから、ちょうど一時一生懸命、まぁ昨日は御大祭の、報徳祭のお説教を聞かせて貰いました。もう本当に何遍頂いても何遍頂いても、もう私自身がお話しておるのだけれども、私自身が一言一言に合点しながら、聞かせて頂かんならんほどしに有難いです。
そういう有難い気持ちになってからのお話ですから。皆さんも本当に有難い言うなら、信心話が出来る訳です。なかで末永先生がこんな話を致しておりました。昨日は佐賀の基山ですね。鳥栖の向こうの。教会の御大祭でした。ですからあちらの先生から、末永先生にお祭りに出てくれないかというお頼みがあって、あちらの御大祭を頂いて、帰らせて頂いてのお話なんです。
講師は唐津の浜崎ですかね、浜崎教会の寺井先生であった。私もちょっと知っとるんですけれども、それこそ気骨のある、もう昔のお徳を受けられた先生方のタイプに、良くあった様な感じの先生で、非常に今時あんな先生は居られません。その先生のお話二時間に渡ってお話をされた。それでご自分が大体もうちょうど、昨日が基山の教会の御大祭、ここは報徳祭がもう一昨日でしたかね。あちらでは秋の御大祭が昨日だった訳です。それでご自分の所でも、四十五年という記念の大祭を、その前日に仕えておられる。
それでその翌日が基山に、講師として見えておられる。そしてご自分がおかげを受けられた話。もう誰が行っても、そこは道が開けなかったとこだそうですね。あの浜崎というところは何人もの先生が変った。だからまぁ四十五年になっておる訳です。ご自分が浜崎に出られて、三十二年になると言うとか話でしたが。ほんにやっぱそんなになりましょう、終戦後ですから。
それはもう満州北支を股にかけて、それこそ馬賊にでもなろうかと言うごたる気持ちで、あちらに渡られたという先生ですから、気骨があるのです。そのお話の中に十年間、浜崎と言う所は、確かに海辺でしょう。十二時から先海につかって大祓信行をされる。十年間続けられておった。もう恐らくあらゆる表行をなさった。それこそ表行が出来ぬ者に、心行が出来るかと、まぁ言う様な勢いの信心をなさった。段々人が助かるようになった。お話の中に私のほうには信者は少ない。
まぁ家族で言うたら、三十家族ぐらいしかない。けれども記念祭ともなると、一人で五十万ずつ、平均のお供えが出来る信者が、三十家族ありますと言うてお話されたそうです。恐らくそんなに大変、まぁ金満家の人達が揃うておると言う事じゃないです。それは毎日毎日いわば、その日暮らし的な間違いのないおかげを頂いて居る人達も、その中には幾らもありましょう。けれども一心発起です。記念祭にはと、例えば思いを込めて、記念祭には五十万ずつのお供えが出来るような信者。
数はおらんけれどもそうだとこう言う。三五十五、千五百万円。教会としては大した教会じゃないけれども、やっぱ生き生きとした御比礼が立っておると言う事が分かります。先生も一遍あそこにご普請がある前に、ここに見えた事がある。信者を連れてバスで見えられました。合楽教会と甘木教会を見学したいと言うて、ここへ見えられて丁度お昼でしたから、ここでお弁当を開かせてくれと言う事で、銘々お弁当持って来ておられた。そこで内では丁度左官さんか何かが入っておりまして、丁度お蕎麦が出来ておった。
だからすぐこうお蕎麦をご飯は持って来ておられますから、出しました。そしたら先生が言われること。もうそれこそあの言葉遣いなんかでも、昔の桂先生あたりがお使いになったような言葉を使われるんです。わしが言うておったじゃろう。合楽の先生は大変な御神徳家じゃ。だからわしらが、ちゃんとこうやって、合楽教会に見学に来ると言う事を、もう神様からお知らせを頂いてあった。だからこういう準備が、ちゃんと出来とったと言うて、私の前で話されるんです。
そんな段じゃない。果たして私はただまぁ左官さん達に出すお蕎麦が出来とったから、まぁすぐ間に合うて出したわけ。けども先生はそういう風に、まぁそういうふうな信心を、大変好きな先生なんですね。言うならば。小倉の記念祭の時に、祓い主の御用をされた。ところが祭主を一番初めに、ぱぁっと祓いますね。そしたらその祓いが上が飛んでしもうたみんな。それでその棒だけで、お祓いをしたという様な先生なんです。それがもう先生、私は博多の駅で、行きがけにそのお知らせを頂いておった。
それに迂闊にもそれを検討も、その緩かったんですね。そのしてなかった事を、ほんに残念に思うと言う話しをなさったが。そういう様なまぁタイプの先生なんです。十年間は、海につかって十二時から先を、修行された。恐らくそれに伴う様々な表行をなさったことであろう。そして信者の一人ひとりの上にです。そういう熱願をかけて、まぁだご自分が、教会長としておかげを頂かれて、三十二年間の間にそういういうなら、確かな信者が育ってきておる。
そしてその信心が二十年になり、三十年になって今日私がここに、はっきり言える事は、金光様のご信心には、表行もなからなければ心行もないと言う事ですと、言う事を話された訳です。私は聞いてからもう、びっくりしました。その信心の進展というか、その信心の進めというか。それこそ今日の御理解で言うならば。信心に連れはいらんというけれども連れになろうと言うても、連れになれんほどしの、信心を進めておられると言う事です。だからもうとにかくとても、あなたのごと早か急ぎなさるなら、もう私共は連れにはなりきらん。
連れにしようとしても、なろうとしても連れにならない位の信心が出来られて、しかも三十年の教会長として、おかげを頂かれてから、そのはっきり言えれることは。御道の信心には、表行もなからなければ心行もない。いうなら過去の信心の、自分の信心の清算と言うか、いうなら合楽で言うもうそれこそ。信心の切り替えが、つっつっつっと出来ておられるという事です。それまでに、自分を空しゅうすることの為に、様々な修行もなさったんでしょう。
非常に奥さんが信心がない。それでもうやりやり言うごたる夫婦喧嘩が、何時もあっておったと言う事です。何も買わないと言う生き方ですから、夜ともなると奥さんと二人で、海辺に色んなこう打ち上げておる、その木切れを、拾らいに行ってそれが燃料であったと言う。とても真似しようとしても出来んほどしの、言うならそういう修行をされて、三十年間そういう。ご長男が一人息子さんが居られますでしょう。
でここ光昭達の同期だったという。今の金光様のお嬢さんを、奥さんに迎えられているのですから、金光家からも、そんなに信用を受けておられると言うことも分かります。結婚式の時にはこう光昭が、あちらへ呼ばれておりましたから参りました。それに本当にもうその何て言うですか、言うなら一騎当千と言った様なご信者さん方が、沢山おられると言う事です。しかもいわば金光教の信心に、表行もなからなければ心行もない。ただあるのは金光様あなたのおかげで助かっておりますという事。
どんな場合でも金光様あなたのおかげでと。これ以外にないと、まぁ断言されたと言うことです。合楽理念で申します。表行全廃心行一途と言う事はです。その事だと思うです。だから言葉を変えると、金光教には表行もなからなければ心行もない。何時も神様を心にかけ続けておると言う事なんです。だから合楽ではそれが心行と言っておる。だから自分の心に掛け続けに掛けておらんと。お便所に行っても。お風呂に入っても何時もここで頂くような、いうなら形のことは出来んのです。
心を何時も神様に掛け続けておるから。タオル一つの使い方、石鹸一つの使い方、お手洗いにやらせて頂いても、後を使う人のことを思わせて頂くような、行き届いた心は生まれてこないです。ただ自分がきちっと好きであり、清潔好きだと言った様な事では、それはもう心行にはなりません。そういう人なら、例えばきちっとするかも知れんけれども。きちっとしない人達を見ると、非常にあんたばっかりは、ろくそなかと言うて、文句の出るごとある。
言うなら何時も金光様、あなたのおかげでと言う事を思い続け、心の中に祈り続け頂き続けると言う事が、そのまま合楽では心行と言っておる訳なんです。私はそれを聞いて、本当に我が意を得たり。あぁいう表行の強いいうならば、我武者羅な先生がそんなにまでも変わって行かれると言う事は素晴らしい。それこそ人の真似の出来ん様な信心修行を、それを成し遂げれる人であって出来る事であり。ほんならその間にどう言う事になって来られたかというと、いよいよ自分というものを空しゅうして行かれた。
日に日に生きるが信心なり。日に日に生きると言う事は、日に日に生まれると言う事。だから過去の自分というものはない。昨日の事を言うたり一昨日の事を言うたりして、心のなかに心配やら、腹立ちやらがあると言った様なもんじゃない。そういう信心を私は、今日は連れはいらんと言われるが。とてもあなたの連れにはなりきらんという位な信心が望まれる。でなからなければです。一番最後の日に日に生きるが信心なりという素晴らしい信心に到達することは出来ないと、私は思う。
そこからです沢山の人がまた助かる。いわゆるその人の信心を本当に求めて、集まってくる人達が沢山出来てくる事にもなりましょう。言うならば毅然とした信心を言うのであろう。本気で自分の我情を取り、本気で我欲を取ると言う事は。もうそげなもんまで捨てにゃんごたるなら、もう生きとる値打ちはないと言うごたる感じです。けれどもそれを捨てたところに、わが身は神徳のなかに活かされてあるという、信心者の喜びがある訳です。そこには限りなく恵まれる世界も、またある訳です。
そういう信心をこの二十六節では説かれてあるんだ、そういうご真意の内容を持つ御理解だという風に、私共は頂かなければならん。また私は今日はそういう風に、自分自身の信心を思うてみて。なるほど私の信心の過去を、こう振り返ってみても、なるほど大坪さんの信心の真似は出来んと、みんなに言われた時代がありましたが。それこそ連れはいらん。ただわが道を行くという生き方を、信心進めさせて頂きよったら。毎日こんなに沢山な連れが出来たと言う事にもなるのです。
昨日久し振りにそういう気骨のある先生のお話を聞いて、まぁ大変おかげを頂きました。昨日あちらの御大祭にやらせて頂いて、いわゆる甘木関係の寺井先生は、ご承知のように、久留米関係ですね。お母さんが久留米の石橋松次郎先生の長女に当たられます。そして、ご自分は長男であの大きな唐津教会の跡取りとして、おかげを頂いても良いのだけれども、後は弟さんにまぁ譲って自分は、誰が行っても開けないと言う様な、曰くのついて居る教会にあえて敢然として挑まれた。
そして今日のいわゆるお徳を受けられた。神様に向けられる、それこそその心というものが人と違う。もう始めからいわば神様へ向ける信心の心というものが、目先の何かばちっとばっかり頂かんならんからの信心ではないという事です。初めてのお会いする、あちらは雑餉の教会のお嬢さんを、基山教会である奥さんに迎えておられる。それから何時もここに来る、鵜口教会の鹿児島ですね。安田先生もやっぱり、あちらのお嬢さんを。だから奥さん達が姉妹。
ご主人達は今の本郷教会の二番目の息子さんです。その先生が末永先生に、私はもう本当に私は全然、会うた事もないけれどもね。もう合楽の親先生が好きで好きでたまらんと。もうそれこそ遠いところに、あの恋人と離れておるような気持ちがするんだけれども。今の時点では行けない。まぁ弟の安武先生から、時々聞くぐらいな事だけれども、と言うてその合楽礼賛をされたと言う事です。私はその事を聞かせて頂きながら、合楽にはです。私が知らない人達でです。
合楽にある意味においての憧燃の心を燃やしている人達が、幾らもあると言う事は、非常に有難いと思います。何か時期が来る機会が来たら、ほんとに一遍合楽の教えを頂きたいと言う様な人達がある。それもやはり私は人が連れにならないくらいな信心をさせて頂いて、今日おかげを頂いておる様子がです。やはり漏れ聞き承わられてからのことであろうとこう思います。こっから出ておるご本やらも読まれて。やはりそこに一つの憧れの心と言った様なものを、皆さんが持っておられる。
私は私の為に憧燃心を持っておられるとか、合楽の先生が好きだと言う事はです。私一人のためではない。いよいよ教団が大きく飛躍することのためには、もう合楽理念をもってする他はない。そういう例えばお話をです。末永先生が昨日しておりましたが、二時間にも渡ってそれこそ、時間を感じさせないような、それこそ血湧き肉踊るような話なんです。けれどもそれを頂き終わって。
合楽理念の素晴らしさを。また改めて分からせて頂いたと言うております。ですから本当にそういう意味でです。合楽理念合楽理念という、それを本当に自分のものにする精進がです。いわゆる人の真似の出来ん位な、言うならば精進の心をもって、それに取り組むならば嬉しゅう楽しゅうそしてまた、愉快に行けれる一線上に出らなければ、金光様のご信心、いや合楽にご縁を頂いておる、本当の値打ちはないと私は思いますですね。
どうぞ。